更新日:2008年7月18日 |
「やらなきゃならん」査察官の心意気
|
|
査察官の心意気について書こう。
古い話であるが、昭和51年2月5日、アメリカの議会で、航空機売り込み工作の証言が出た。ロッキード事件ぼっ発である。丸紅、全日空、小佐野賢治らの名前が出、戦後右翼の大物・児玉誉士夫名義の10億円を超える領収証が公表され、世の中は騒然となった。
連日、国会で証人喚問が行われたが、真相は霧の中である。
しかし、検察は立ち上がれない。証拠はすべてアメリカにあり、当時の法制では、日本がこれを入手する道はない。
その道をどうこじ開けるか、検察が悩んでいる間も、真相の解明を求める世間の声は高まる一方である。
その時敢然と立ち上がったのが査察であった。
「脱税で児玉をやりましょう」
「しかし、児玉の領収証の原本を入手する方法はありません。新聞に載っているコピーでは、裁判所では証拠に使えません」
「われわれの方で証拠は集めます。ともかく、ガサをやりましょう」
そんなようなやりとりの末に、検察は査察の胆力と気迫をたのんで一緒に事件に着手することになった。警察も協議にのってきて、三者共同のガサ態勢が組まれた。そして、2月24日、捜査・調査陣は児玉邸など27カ所に討ち入ったのである。
査察の総指揮をした当時の東京国税局長・磯邊律男さんに、改めて決断の根拠を聞いた。
「査察はやらなきゃならんとなったらやります」。
答えは簡潔であった。 |
(大蔵財務協会 週刊「税のしるべ」2008年7月14日掲載) |
|