政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2010年9月2日

もっと言おう

 行政相談委員というのは、腹の立つ仕事である。腹を立てるのは相談委員、立てる相手は行政である。よく憤死もせず、ボランティアで続けてくださると、頭が下がるばかりである。

 少し前、韓国の民間の会議に参加した。
 会議の冒頭、所管の行政官が来て挨拶した。
 彼が到着する前から年長の主催者はそわそわ、到着したらまことに丁重なおもてなし。お若い行政官は居並ぶ民間実力者たちを睥睨する感じで偉そうな挨拶をして立ち去って行った。20年前には日本もこんな感じだったなと既視感があったが、下手をすると、業界によってはまだこんな風景が残っているかも知れない。これでは公務員は公僕になれず、憲法に違背する「お上」の風土が60年を越えてもまだ居残っているおそれがある。

 別に行政相談委員のガス抜きをするつもりで言うのではなく、私自身腹が立ってならないのであるが、そもそも、行政の基にある法律自体に「お上」の態度がしっかり残っているのである。だから、相談を受けて市民、庶民のための行政に正そうとしても、容易にことは進まない。その法律に基づいて行政を行う人間は、法律に基づいて、「お上」の顔になってしまっているのかも知れない。

 行政苦情が多い厚生労働省の法律を見てみよう。
 たとえば介護保険法である。
 国民が介護給付を受けられるのは、同法第四十一条以下に「市町村は、要介護認定を受けた被保険者が・・・のときは、・・・について、居宅介護サービス費を支給する」という形の規定があるからである。
 なぜこれを素直に「要介護認定を受けた被保険者は、・・・のときは、市町村から・・・について、居宅介護サービス費を受けることができる」と書けないのだろうか。
 現行法の書き方であると、国民(被保険者)が支給を受ける権利を持つかどうかがはっきりしない。解説書も、国民が権利を持つという言い方は、注意深く避けている。
 だいたい戦前からある古い法律は、「国民が○○の権利を持つ」という言い方でなく、「お上が○○してあげる」という形で法律を決めている。
 厚生労働省、特に厚生省系のお役人は、私が知る限り、もっとも国民に親切なお役人であるが(比較の問題として)、法律のつくり方は、戦後つくったものでも、古い法律の形をまねているので、お上意識が強い形になっている。
 それが、形だけの問題でなく、法律の中に「官側の都合」が入り込む誘因になっている。国民の権利という形で規定すると、これを制限するには、誰もが納得するような場合を書かなくてはならず、自ずから抑制的になるが、お上の側からの規定であると、お上側の都合でそういうサービスをしないことがあるという規定がしやすくなる。

 そこで行政相談や行政苦情でこの手の法令が問題になると「確かにこの法令のままだとこういう場合に国民はひどく不便だし、不公平なことになるよね。だけどそういうケースを救えるように法令を改めるとなると、行政の方が不便になるから、改正してくれないだろうね。やっぱり国民に諦めてもらうしかないか」などと、泣き寝入り路線に向かいがちになる。担当省庁に裏から聞いても「それじゃ行政が肥大するから無理ですよ。同種の規定との整合性もあるし」と逃げの一手である。ひどい省だと「法令でそう決めているのだから仕方ないでしょう」と高飛車である。

 法律のつくり方で言えば、国民の権利として書くかどうかだけでなく、誰が読んでもさっぱり分からないような書き方をするという問題がある。
 その典型例が租税特別措置法である。分かりにくく書くほど、それを起案する役人は優秀と評価される雰囲気があるのではないか。
 条文の意味が分からないから、行政苦情の言いようもない。税理士に聞いても分からないから、税務当局に聞いてもらうしかない。すると税務当局は、その思うとおりの有権解釈をする。このようにして、税務当局は租税行政の運用を独断で行う実務慣行を確立する。そして、法令を越えて、その根拠もなく、手続きをつくり出す。通達を読むと、税務署長が認定権を持っていたり、認定を受けるために○○の手続きを踏まなくてはならないなどという制限が課せられているが、法令のどこを探してもそのような制限をする権限が見当たらないという例が、いろいろと出て来る。

 あれやこれやと法律を見、またその運用ぶりを見て来ると、行政相談や行政苦情がこんなに少なくてよいのかというのが実感である。
 もっともっと不満がある筈である。
 今はもう政府や行政に対する不満をあおり立てて政府を顛覆しようなどという不逞の輩はまずいないから、不満を抑え込む必要はない。むしろどんどん表に出して、適切に対応するのが、福祉国家の責務である。国民の側になんとなく諦めてしまうような空気がかなり色濃いから、それが行政改革とか政治主導とかいう旗印に人気が集まる下地になっている。行政は国民のためにやっていないような不信感が行き渡ってしまっている。

 私自身は、30年間法務省・検察庁で働いてきたし、その後の20年間は福祉などの分野のボランティアとして、市民を代弁して行政や政治に様々な提言をしてきたから、行政官の実相はよく知っている部類に属する。
 もちろんいい加減な行政官や権力志向・省益絶対の行政官もいるが、多くは真面目にお役目に取り組み、優秀である。政治主導というが、おおむねお役人の方が優秀で、彼らを使いこなす能力を持つ政治家はそう多くない。国民のために働く意思をしっかり持つ行政官もけっこうおられる。
 問題は、公僕という意識を持つかどうかである。それこそ、政治が主導して変えていかなければならない、最大の点である。それには、行政のよって立つ法律を、国民のためのものに変えることがもっとも有効な手段となる。立法は国会の役割であるから、政治家が、国民のための法律の形を学び、実現しなければならない。その役目を法制局に丸投げしていては、ことは進まない。

 その動きを導く起爆剤として有効なのが、国民の相談と苦情であろう。もっともっと言ってよい。国民は主権者なのだから。

(季刊「行政相談」 No.126 2010年8月発行・掲載)

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