更新日:2012年6月14日
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地域包括ケアのイメージ
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19世紀、資本主義が勢いを増して若者たちの所有欲をかき立てていた時代、彼らは郊外に広い家を求め、車を駆って仕事に出、大きなモールで1週間分の食糧を買い求め、核家族単位で暮らしていた。アメリカンドリームの時代である。
1960年代、ニューヨークで3か月暮らした私は、車を運転できなくなった老人たちが、ニューヨークのスラム街(ハーレム)に近い安っぽいアパートに一人で暮らし、とぼとぼとスーパーに買い物に出かけていたその淋しげな姿が、目についてならなかった。
今、どの先進国も若者は少数派となり、高齢社会に入っている。いずれ1世紀も経たないうちに、アフリカを含めて世界中が高齢社会を迎えるだろう。
高齢社会は、所有欲と競争、車と郊外の邸宅の社会ではない。安心と絆の社会。つまり、幼な児からお年寄りまでが自分の住むなじみの地域でふれあい、自分を生かして人に役立つことを最高の喜びとする社会。そして、自分の足で歩いて行ける範囲内で日常生活に必要な物品を購入することができ、人との交わりや運動、文化活動などを楽しめる社会。一口にいって、コンパクトシティである。
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そのコンパクトシティの暮らしを支えるのが、最後まで自宅で暮らすことを可能にする地域包括ケア(24時間巡回サービスを核とするさまざまなケアの地域ネット)である。その中身は、ケアの仕組みだけでなく、いろいろな機能を併せ持つ高齢者住宅、子どもたちを含め、地域のさまざまな人々が集い、自分を生かす活動を行う居場所、認知症の人の尊厳ある生き方を生み出す後見人の組織、障がい者や高齢者の社会的就労の場、高齢者も妊産婦も気軽に買い物などに行けるカート型の車などである。
高齢者らの情報を一括管理し、それぞれの人にあったネットをつくる役割は、地域包括支援センターが担うべきであろう。
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津波で流された地域の復興には、ぜひ、これから迎える社会に適合したコンパクトシティをつくるのだという意識を共有して、町づくりに当たりたい。場当たりに住宅を建てたのでは、千載一遇の機会を逃してしまう。
日本で増えつつある過疎地の再興は、やはりコンパクトシティの建設であろう。そのモデルを創っていかないと、人の減るに任せていては、地域は荒廃していく。
都市部は、都市再生計画をそれぞれの都市の特長に応じて立案し、ここに書いたようなコンパクトな地域を徐々に実現していく時を迎えている。個々人の創意で町を拡大していく社会から、人口減少社会に入ったからである。人口の減少による町の縮小は、個々人に任せていると虫喰い状の無計画な町への衰退を招く。よほどの知恵と強いリーダーシップ、そして何よりも、住民たちの自覚的な町づくり参加が必要である。
難しい時代を迎えた。だから、私たちの出番である。 |
(『さぁ、言おう』2012年6月号)
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