更新日:2013年2月8日
福島の復興と新政権
福島県の県外避難者の支援活動をしていると、彼らの不安定な気持ちがひしひしと伝わってくる。被災後1年10か月経っても、帰れるかどうかわからない。自分のこれからの生活をどう建て直していいかの見通しを立てられない宙ぶらりんな状態に置かれたまま、いつその状態を脱することができるのか、どうすれば脱することができるのか、それを誰が決めてくれるのかさえわからないというのは、いたたまれない焦りと不安と恐怖が募る毎日なのである。
この状態を脱するためには、誰かが、「○年○月には、この地域を赤ん坊が帰っても大丈夫な状態にします」と、責任を持って宣言することが必要である。そして、その状態にするまでの工程表をつくり、以後その進行状況を逐次公開する。そのような宣言ができない地域については、「この地域には、帰れる見通しは立ちません」と宣言する。それ以外に、被災者の不安定な気持ちを解消する方法はない。
誰かとは、第一原発に近い11町村については国である。放射性物質汚染対処特別措置法に、国が市町村と相談しながら直轄で除染すると定められている。
除染実施計画は順次立てられつつあるが、それはあくまで除染を行っていく計画であって、その町や村全体について、「これで赤ん坊でも帰って大丈夫」と保証する安全宣言ではない。それでは帰る決心をするのは難しい。
それで私は、昨年12月14日の復興推進委員会で、環境省と復興庁に聞いた。
「いつごろみんなが帰って大丈夫なのか、そこが見えないと人生計画が立てられない。それには環境省だけの調査などでは足りないので、全体として必要とされる予算の問題など、総合的で政治的な判断が必要になる。政治を巻き込んでしっかりした工程表を示すことは可能ですか」
これに対し、環境省は、先に述べた除染実施計画について説明し、期間については、「関係省庁との協議の場で連携を図る」と答えた。また復興庁は、「一つの工程というものを、今市町村と議論しながら組み立てているところ」と答えた(詳細は、復興庁ホームページ、同委員会第六回議事録)。
ここでいう工程表は、私が聞いた「安全宣言」をするまでの工程表ではない。
安全宣言をするには、雨水などが流れてくる近隣の森林、里山などの除染を含め、どこまで、どれだけの除染をすればその地域に住んでも大丈夫といえるかの科学的調査が必要であるし、それだけの除染をするにはどれだけの労力と時間とお金が必要かの現実的見通しや汚染土壌等の貯蔵先の確保も必要である。それは環境省や復興庁だけでできるような作業ではないが、せめておおよその計算をして机上で見通しを立てるくらいのことはできるのではないかと期待を持って、私は「可能か」と聞いたのである。
答えは予期した通りの擦れ違い答弁であった。
ここは、政治家の出番である。
復興が日本の最優先の課題であることは、新政府も公言している。
原発被災地については、除染なくして復興はない。生活安全宣言ができるまでの除染をするには、膨大な労力とお金がかかる。それをまず冷静に調査する。そのうえでその結果を、被災者を含む国民に示し、議論の上国会で決める。帰れない被災者には、受け入れ先の住民を含めて社会全体で新生活の支援をする。帰ることを決めた人たちは、帰る地域の再興に向けて話し合い、準備に入る。
国民が政府に責任がある人災で不幸な状態に突き落とされた時、政治は彼らをどれだけ救うことができるか。日本中、世界中が日本の政治を見ている。
(『さぁ、言おう』2013年2月号:電気新聞「ウェーブ」1月16日掲載)
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