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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2013年4月10日

人口減少地の医療・福祉

 高知県津野町のインストラクター西元和代さんが企画したフォーラムで、津野町や近隣する須崎市、梼原町、中土佐町、四万十町の人々が集い、地域包括ケアやふれあいのあり方を論議した。
 パネルに登場した梼原病院院長内田望さんは頼もしい方で、「車で30分以内のところなら私は診療に行っています。必要なら何時でも行きます」と断言された。
 彼は「医師と本人と家族にその意思があれば、在宅での看取りはできます。それに、福祉などの社会資源が連携し、近隣の協力があれば、重度の方を在宅でケアできます」と語った。
 コーディネーターの私は、会場に語った。
「それじゃ、梼原町や須崎市など、医療・福祉サービスの拠点にコンパスを置いて、車で30分の円を描き、その円内の方は、その望みがあれば、医療や介護の24時間巡回サービスを受けて、自宅から天国に行ける仕組みができますね。その円の外の方々は、円の中に共生型福祉施設やグループホームのように、お世話をしてもらいながら最後を迎えられる自宅のような居場所をつくってもらって、最後はそこで迎えればいいですね」
 パネリストの津野町長池田三男さんがうなずいたかどうか確認しなかったが、会場では、医療や福祉の関係者を含めて、うなずく人が多かった。
 私たちが復興の応援に入っている市や町には、人口減少地が多い。石巻市の雄勝や牡鹿、塩竃市の浦戸諸島などはその典型である。しかし、家を流された方々の何割かは、元の集落や島に住む気持ちを固めておられる。集落を離れて中心部に移り住むことは、まったく望まない。
 そうなると、医療・福祉サービスの拠点を中心部に置き、そこからサービスを届けられる範囲内とその外の地域とを分けた体制を考えざるを得ないように思う。
 全国には人口減少地が多いし、これからますます増えていくだろう。
 その中で、最後まで尊厳をもって生きるための最善の策をその地域の実情に応じて考え、つくっていくほかない。
 高知県の須崎市、津野町の地域でも、先に述べたような仕組みが実現すれば、それぞれに自分の最後の暮らし方も見えるようになり、それが見えず不安に包まれていた高齢者たちに、大きな安心をもたらすのではなかろうか。
 人口減少地においても、他の地と同じように、人の尊厳ある暮らしはしっかり支えなければならないのである。

■各パネリスト紹介(※当日配布した資料より)

津野町長  池田 三男氏
 57歳。須崎高校卒業。旧葉山村役場にて総務課長、津野町総務課長を歴任し、副町長の経験を経て、2007年の津野町長選に引き続き、無投票で今年2月2期目の再選を果たす。

梼原病院院長  内田 望氏
 40歳。1997年自治医大卒業。梼原病院と梼原町保健福祉支援センターは同一の建物内に存在している。その中で梼原町保健福祉支援センターのゼネラルマネジャーも兼務している。梼原町では「住み慣れた地域で最期まで暮らすこと」を掲げ、住民を支えるだけでなく、住民にも支えられる病院づくりを目指している。

須崎市 認知症家族の会さくらの会代表  江西 一郎氏
 大阪などで仕事をされていたが2003年に認知症になった親の介護のために須崎市へ単身で帰郷。07年から認知症家族の会に入会。09年から会長を務め現在に至る。認知症に対する理解を求めるための活動等、さまざまな活動に取り組んでいる。

中土佐町 特別養護老人ホーム望海の郷  堅田 佐知子氏
 保育園で永年勤務され、2006年から特別養護老人ホーム双名園に、そして12年2月から特別養護老人ホーム望海の郷に、いずれも相談員として勤務。施設の職員以外にも、認知症サポーターや、地域の助け合いなど、積極的な活動をされている。

四万十町 生活支援サポーター  横山 礼子氏
 四万十町(旧窪川町)に生まれる。保育所に20年間勤務後退職。1991年6月から民生委員、児童委員として活動。2010年12月から仁井田地区会長を務める。08年度に四万十町社会福祉協議会が主催した「生活支援サポーター養成研修」を受講し、09年2月からサポーターとして活動中。

(『さぁ、言おう』2013年4月号)

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