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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2013年6月12日

ハードはソフトのためのもの

 ハードにソフトを組み入れるのが難しい。
 例によって被災地の復興の話である。ハードは、建物や道路などの建築、建設、ソフトは、地域包括ケア、つまり、医療や介護、助け合いなどのサービスのことである。
「福祉は建物が建ってからの話でしょう」という感覚が相変わらず強く、「被災者が1日も早くと言っているから」という理由で、整地できた土地から次々と画一的仕様の災害公営住宅が建てられていく。
 ハードとソフトの関係については、零から自分の家を設計することを想像してほしい。
 台所と居間をどこに置くか。特に居間の構造は、家族にとって重要な意味を持つ。家族が仲良く助け合って暮らす一家では、居間を家族が集ってみんなが楽しめるように、広くつくり、掘りごたつを設けたり、幼子が這い回っても安全なように設計するだろう。家族がばらばらな一家は居間には関心がなく、テレビを見ながら食事が出来ればよいという程度で、既存の設計で間に合わせるだろう。そういう一家の中で、仲の良い家族にしたいと願うお母さんは、一家団らんの意味やそのあり方をお父さんや子どもたちに理解してもらうのに苦労するだろう。「ハードにソフトを持ち込むのって大変よ」とぼやきながらも、まずは家族の絆自体がなければわからないからと考えて、家族みんなで一緒に食事する習慣づくりにはげむであろう。絆が全ての基礎である。
 台所を居間と続けることには全員異論がないが、ここをお母さん一人のスペースとするか全員が入るスペースとするかで、その設計は大きく変わってくる。古い考えのお父さんは、台所が居間から見えることにも反対するであろう。暮らすうえでの人間関係のあり方で、台所の設計も変わる。
 身体が弱ってきたおばあさんの部屋をどこに置くかは大問題である。できる限り最期まで自宅で暮らしてほしいと願う温かい家族であれば、おばあさんの部屋は1階、玄関近くに置く。ヘルパーさんや看護師さんが訪ねてくるようになった時、すっと入れるようにするためである。浴室やトイレも、おばあさんの部屋続きに設け、おばあさんができる限り自立して過ごせるような設計にする。それが家族にとってマイナスになることはあり得ない。幼児にも便利である。その部屋は、お父さんあるいはお母さんが老いて不自由になってきた時にも、効力を発揮する。
 もしお父さんが家族の団らんやおばあさんのケア、自分の将来のことなどを考えない仕事人間であれば、「えっ、おばあさんの部屋が玄関のそば?客が来た時はどうするんだ、かっこ悪い」などととんでもない発言をして、この設計を一蹴するだろう。
 子どもたちの勉強部屋は2階である。これも、完全密室型にするか、気配のわかるように何となくつながりのある部屋にするかは、家族の絆というソフトの理念をどこまで取り入れるかで変わってくる。家族全員にやさしい家の設計を提言、実践しておられる京都の宇津崎光代さんのお家を思い出す。2階への階段が吹き抜けのらせん階段になっていて、「家族は、誰もが、どこに居ても、他の家族がどこに居るか、何となくわかるようになっているの」と言っておられた。
「男は、この家の良さをわかってくれないけど、奥さんの方は感激して泣き出す人もいるわ」ともおっしゃっていた。
 被災地の復興計画も同じである。
 どこまで高齢者の暮らしやケアを思うことができるか。それは、自分たちの将来のことでもある。
 どこまで子どもたちのいきいきとした暮らしと成長を思うことができるか。これも自分たちの将来にかかわってくる。
 昨年4月に大船渡市の副市長になった角田陽介さんが、財団の丹直秀さんに言った。
「私は国交省の出身なので、ソフトのことをいろいろ勉強したいと思っています」
 大船渡市では、ハードの担当者が医療、福祉などの担当者と勉強会を開いた。岩手県の「災害公営住宅等における見守り事業実施の手引き」(平成25年3月13日)は、ハードとソフトの連携を、事例をあげて、説いている。
 ハードは、ソフトのためにあるのである。

(『さぁ、言おう』2013年6月号)

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 [日付は更新日]
2013年5月 8日 復興応援の地域通貨
2013年 4月10日 人口減少地の医療・福祉
2013年 3月13日 共に暮らし、楽しむ住まい
2013年 2月 8日 福島の復興と新政権
2013年 1月10日 原点に足を踏んばる
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