更新日:2015年5月1日 |
あなたの力が要る |
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東日本大震災直後のボランティアの話である。
南三陸町歌津地区の避難所では、家の流出を免れた女性らが、町内の声かけに応じて食事の炊き出しを行っていた。連日の調理に疲労がたまったが、津波ですべてを失った同郷の仲間への同情心がボランティア活動を支えていた。
町は、彼女たちの疲労を案じて、調理をする人を雇い入れた。この配慮は裏目に出た。同じ仕事をしてお金がもらえる人がいることに不満が出て、多くの人たちはボランティア活動を辞めてしまったのである。
実は、こういう現象はボランティアの世界ではよく知られていて、例にいとまがない。
スポーツの世界大会で、ボランティアの通訳が、雇われた通訳が就業時間厳守でさっさと帰るのに腹を立て、辞めてしまったりしている。
「不公平嫌悪」というのは人間にも霊長類にも共通の現象のようだから、本能に近い感覚なのだろう。
福祉の領域では、今、地域の助け合いの力を生かして、困っている人々の生活を支えようとする動きが強まっている。それ自体は助ける人にも助けられる人にも(さらにいえば、費用が安くて済むから保険料や税金を払う人にも)よいことである。ただ、助け合いあるいはボランティア活動には、好意で行う人間活動としての特徴があって、これをはずすとうまくいかない。
助け合いは労働に対する報酬をもらわないで労力を提供するのだから、「自分が人に役立った」という満足感がその活動に対する報酬ということになる。そして、その満足感は、そのサービスがほかの所からお金で買えたり、行政がこれを提供したりしている場合には、得ることが難しい。「それなら、行政にやってもらえばいいじゃない」「あなたのお金で買えばどう?」となる。
「あの人たちは困っています。それを救えるのはあなたの無償の行為だけです」といえる行為をどれだけそろえるか。それが地域の力を引き出す鍵である。
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(京都新聞「暖流」2015.4.26掲載) |
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