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定期連載 辛口時評
更新日:2006年10月22日
愛国心教育は最悪だ
  未来にわくわくするような夢が持てず、自分を好きにもなれない子どもたちが少なくない。だから、教育に政治の重点を置くのは当然だと思うが、間違った方向に教育を持っていくのなら、重点を置いてもらいたくない。
  その方向として、愛国心が挙げられているが、これは最悪の方向である。
  もちろん、日本人が日本国を愛することは、中国人が中国を愛するのと同様に、それが排他主義に陥らない限り、良いことである。
  問題は、愛国心を教育で教えるという発想にある。
  愛国心は、自分を愛する人が、自分と苦楽を共にする家族を愛し、自分の生きる場である地域社会を愛するその延長線上に生まれるものである。自分は日本で幸せに生きているという自己肯定感があるからこそ、これを分かち合って生きている同胞と日本国とを愛し、誇りたいという気持ちになる。だから、スポーツ競技で、日本の代表の活躍を、わがことのように感じて応援するのである。
  ところが、今の教育の最大の欠陥である「考えさせず、多量に覚えることを画一的に強要する教え方」により、多くの子どもたちは自分の能力に自信を失い、学ぶこと、ひいては生きることを苦痛に思い、自分の存在意義を否定する方向に傾いている。
  自分に愛情が感じられないのに、人や地域社会を愛するなどということはありえない。ましてや国など、自分に無関係な遠い存在と思うか、自分に教育という苦痛を強いる嫌な存在と認識するかのどちらかであろう。要するに、日本で猛威を振るっている詰め込み教育は、愛国心を失わせる教育なのである。
  その欠陥をそのままにして、愛国心を教え込もうとすると、教えられる方は、心を伴わない欺瞞(ぎまん)的態度をとってみせるほかない。つまり、そういう教え方は、本来の教育とは逆の効果を生み出す。
  さらにいえば、愛国心教育論者が教えようとする「国」とは、国に住む人々の総和でもなく、日本社会のことでもなく、国に住む人々を幸せにするための国の機構のことでもなく、実は、その時の国の施政者の意向を意味していることが、しばしばある。先の世界大戦中われわれが強制された愛国心とか愛国者というのは、まさにその意味であった。
  正当な意味での愛国心ならば、日本に住む人々が、自己存在の肯定感を持てば自然に身につくものであるのに、なぜ、あえて愛国心をストレートに教えようとするのか。
  それは、自分たちが「これが国のためだ」と考える行動を、これに反対する人たちに対しても、愛国心の名のもとに押しつけたいという欲求を持っているためであることが多い。そういう意図がなければ、愛国心が自然に身につくような教育を推進することに集中し、それ以上にマイナス効果を生むような教育は避けるはずである。ぜひ自己肯定感を生むという教育の王道を進んでほしい。
(神奈川新聞「辛口時評」2006年10月16日掲載)
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