流されて生きる人
世の中の流れに身をまかせ、流されるままに生きる人がいる。
そういう人は、したいことがない。
親のいうままに学校へ行き、先生のいうままに進学し、何をやっているかなど関係なく、採用してくれそうな会社を受け、就職する。
別に仕事が面白いわけではなく、そこそこの仕事しかしないから幹部には登用されず、何とか定年まで勤め終えれば、再就職する意欲もなく、濡れ落葉、粗大ゴミコースをたどって、人生の幕を閉じる。お葬式の参列者は数えるほどで、家族も涙を流すほど惜しんではくれない。
そういう人は、ボランティア活動はしていない。地域活動も、お義理でしただけで、仲間は出来ない。
新聞は読んでおらず、テレビのニュースも、ニュースが映っていればぼんやり見ているだけで、その出来事の意味など考えたこともない。
投票には行ったことがない。行く意味がわからないし、投票したい人もいない。世の中、自分にはどう出来るものでもないから、そのために頭を使ったり、エネルギーを使ったり、足を使ったりするのは、疲れるだけ損だと思っている。だから、世の中どうなろうと、流されるままに生きるしかないと、そこは腹を決めている。
そういう人は少なくない。
流れに棹さして生きる人
一方、世の中、少しでも自分のしたいことをして、いきがいのある人生を送ろうと、流れに棹さす人もいる。流れに逆らうこともあるが、多くの場合は、流れを味方に付けて、より自分らしい道を行こうと棹をあやつる。
そういう人は、子どもの頃から、したいことが多く、自己主張が強い。
やりたいことがあって自分で学部を選んで学び、自分の能力を生かすために就職している。
自分のしている仕事が世の中に役立っていることにやりがいを感じ、よりよく仕事をしようとするから、自然に能力が伸び、認めてくれる人も増える。
自分の仕事の意味を社会の流れ、進展との関係で考えているから、世の中の流れはいつも把むように心掛けている。
だから新聞を読み、テレビのニュースには解説を含めて耳を傾ける。
そして、世の中、少しでもよくなってほしいと願っているから、ボランティア活動にも、「これは、私たちがやる意味がある」と思った時には、休暇を取ってでも参加する。
もちろん、投票には行く。行かなかったのは、決まりきった顔ぶれでどうしようもなかった地方議会の選挙だが、このところ地方議会にも志のある候補者が出始めているから、行かなかった選挙は、数えるほどしかない。
そういう人は、退職後も、いい人生を送る。したいことがいっぱいあるから、忙しい。そして、忙しくしている分、家族との仲もよい。
さて、どちらを選ぶ?
どちらの人生コースを歩むか、それを決めるのは、本人である。いきがいがほしくなければ、流されて生きるコースを選ぶ自由が保障されている。それが民主主義である。
しかし、その生き方は、投票で成り立つ民主主義の利益を、ただ取りするものではなかろうか。
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