更新日:2010年8月18日 |
教育の成果を調べよう |
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評価の時代である。
PDCAサイクルという言葉が行きわたり、営利事業も非営利事業も行政も、事業目的をどれだけ達成したかの評価をして次の段階へ進むという社会的行動の仕組みが確立された。
教育の評価も歴史は古い。
昔は通信簿と言っていたが、その言葉の意味もわからない小学1年生の頃から、学期末にツーシンボをもらって帰って親の評価を受けなければならない心労は、大変なものであった。
要するに、科目ごとの成績評価である。そして、この方式は、学校評価の方法においても、変わっていない。子どもたちのテスト結果が、そのまま学校評価になっている。
しかし、これは、正しい評価であろうか。
教育基本法は、「人格の完成」を教育の基本の目的に掲げているし、学校教育法も、教育の目標の冒頭に「人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと」を掲げている。文科省は時代の状況に合わせて「生きる力の養成」と表現している。
これらの目的は、国数理社など、いわゆる知識科目の修得によってもある程度は達成されるが、それだけでは歪んだ形でしか達成されない。
そのことは、記憶力が抜群で有名進学校を卒業しているのに、他者の心情を感性で理解することができず、協同作業を適切に行えない人、あるいは、知識レベルは高いが、自立、自律の精神を欠き、指示待ちの生き方しかできない人を見れば、よくわかるであろう。日本の社会には、そういう人たちが相当多く、教育の目標は基本的な点で達成されていないのである。
そして、問題は、その点の評価がないということである。
基本的な目標について、評価がないどころか、達成手法も検証されたものがなく、評価方法もなく、達成度の申し送りもない。卒業してしまえばおさらばで、追跡調査などもちろんない。
そこで、私のオピニオン第2号は「教育の成果を調べよう」である。少なくとも、そういう意識を持ってほしいのである。
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(日本教育新聞社発行「週刊教育資料」No.1125
[マイオピニオン]2010年7月19日号掲載)
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