■自己肯定はすべての人の存在の基礎
人は、自分の死期をさとった時、親しい人に、「自分は生きてきてよかったんだろうか。」などと聞くことがある。私も何人かに聞かれた。誰もが、とても不安そうな表情で聞いてくる。
そういう時、「あなたは、これこれのことをして相手の方を喜ばしたでしょう。今でも感激しておられるよ。」と返事すると、とても安心した顔になる。
人は、最後まで、自分の存在意義を確認し、肯定して生きていくものなのだと思う。
大人たちが仕事や家事などさまざまな活動に励むのは、自分のためだけでなく、それによって人に役立ち、人から認められることによって自分が存在する意義を確認し、安心したいからだと言える。逆に仕事がなく、人から認められるようなことをしていないと次第に生きる意欲を失っていく。仕事の成果を否定された時も同じである。こういう状態が続くと、引きこもりになったり、ひどい時は自殺することもある。いじめによる自殺も同じ心理であろう。
子どもも大人も、元気に生きていくには、自己肯定感が必要なのである。
■自己肯定感は人との交わりの中で生まれる
人は集まって生きていく動物だから、人間性は集まって生きていくに必要かつ有用なようにできている。人から愛されること(つまり、存在の肯定)は喜びだし、人からほめられたり、感謝されること(つまり、資質や能力、行為やその基礎にある人格の肯定的評価)も喜びである。人の評価を招く基となる能力が向上することも、同じく喜びである。喜びという快感を引き起こしてくれる環境にいると、楽しい。
逆に、人と離れ、孤立状態になると悲しく、淋しい。また、自分や自分を守ってくれる環境(家族から国まで)を非難、攻撃されること(つまり、自己存在の否定)は、怒りや憎しみの感情を引き起す。このように、人間の感情は、多くは人や社会との関係で生じ、自己存在が認められる時は快い感情、否定される時は不快な感情が生じるようにできている。人は社会的動物なのである。
こういう当たり前のことをここで確認したのは、もちろん、生きていくために有用な行動をする動機となる快い感情を、より発達させる能力を培う子育てや教育の方法を探るためである。
■幼児のうちから人と交わる環境を最大限に
赤ん坊は、人にほほ笑む能力を持っている。いろんな人に抱かれて育っている子はあまり人見知りをしない。お互いに知らない幼な子が近づいていく過程は、感動的である。人が複雑な社会的動物であることを教えてくれる。
人間が産児制限を発明する以前の自然な状態では、生む子どもの数が一説によれば平均10人という動物であった。人間は、大家族という社会の中で子育てをしてきた。多産に伴う多死を克服したことは人類の大きな進歩であるが、少子化は同時に、「似た年齢の子どもと交わりながら育つ」という、人間性養成に不可欠の教育環境を失う副作用を起こした。
このマイナスを是正することが最大の課題である。こども園を、親の便宜ではなく、子どもの人間性を育てるという視点から運営しなければならない。地域社会も全面的に協力したい。
子どもたちは自然に交わり、協働して遊ぶ方向に成長していく。
似た年齢の子と一緒にいること自体が、共感の喜びをもたらす。協働して遊べるようになってくると、そこで自分の能力を生かすことの喜び(仲間が自分に賞賛の表情を示す)、協働作業に役立った自己肯定感、仲間と協力し合って(お互いの能力を認めながら)目的を遂げた時の達成感は、一人でやった時の何層倍にもなることを実感できる。
これは、大人(親または教師)と子どもとの関係によっては、学び、育てることができない大切な人間性である。
そしてそれは、成長して大人の社会に入った時、特殊な研究所などを除いて、企業、団体その他の組織からまっさきに求められる人間性なのである。
■学校教育も同じ視点で
他者と交わり、協働することで自ら身に付ける人間性の重要性を考えれば、「学校」という場を、教師が児童、生徒に教える場であると同時に、児童、生徒が相互に交わり、協働する場としても重要視すべきである。その意味で、放課後の校庭開放が広がりつつあることは歓迎できるし、いわゆる「タテ割」の自然な普及も効果が大きい。生活科や総合的学習の時間は、児童、生徒の自発的なグループ学習という原点を忘れないことである。
いわゆる知識学科は、知的能力の成長による喜びを体感させ、自己肯定感を高めるという目的に立ち、苦痛を伴う暗記ではなく、考え、理解し、納得することの快感を味あわせる授業を行いたい。“ミクシ”(なぜか)を問う授業である。
体育や音楽等の授業でも、創造の喜びと協働による喜びを体感させる工夫をしてほしい。
■教師や親の責務
教師や親は、最小限度、子どもの自己肯定感をそこなってはならない。子を支配しようという度合いが大きいほど、子どもの自己肯定感、人間性はそこなわれることを自覚しなければならない。基本的ルールを教えるにしても、「それは人に迷惑をかけるから」という理由を、わかるように教えることである。
あとは、我慢して子どもの自覚を待ち、子どもが成長を見せた時は、敏感に成長を示す言動を拾い上げてほめることである。
「ほめる」ことの効果の大きさは、自分がほめられた時のことを思い出せば、すぐにわかるであろう。具体的な行動をほめることにより、そういう行動をし続けようとインセンティブを引き出すことが大切である。
自己肯定感を高める切り札は、ほめることだと心得ておきたい。
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