更新日:2012年3月28日
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仕事と子育て |
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「今日のネクタイ、かわいいですよ」などと、さりげなく言ってくれる。もう20年間、一緒にボランティア活動をしてきたさわやか福祉財団の職員、鶴山芳子さんである。表情の豊かな美人で、大きな眼をきらきらさせていきいきと語る時の魅力が最高なアラフォーである。
ご近所のいろいろな人が寄り合う新潟県のお寺に生まれ育ったせいか、人なつっこいところがあって、お年寄りとすぐ友達になれる。
私がボランティアの旗揚げをして間もなく参加してくれた時は、まだ少女らしさが残っていた。
それが、子どもたちのためのボランティア活動で知り合ったイケメンと結婚して2児の母となり、もう祐子ちゃんは中2、修平君は小4である。
この2人の子どもたちが、いい子なのである。
特に祐子ちゃんと私とは特別な関係で、彼女が小4だったか、自分でバレンタインチョコレートをつくって私にもプレゼントしてくれて以来、2月と3月の14日には「愛の交換」が続いている。小5にして拙著「少年魂」を読んだ文学少女であり、今はバドミントンに熱中する体育少女でもある。
昨年の3月11日、母親の芳子さんは湘南の自宅に帰れず、財団に泊まった。父親も帰れなかった。中1の娘と小3の息子は、2人で戸締りをして寝た。ご近所のおばさんが心配して訪ねてくれたが、「大丈夫。2人で待ってるから」とけなげであった。
2人が生まれた時、国の育児休業制度はまだ不十分であったが、財団としては、芳子さんが休む戦力ダウンをみんなで補って、しっかり休んで貰った。その分、祐子ちゃんも修平君も、家族のような気がしている。
だから、芳子さんに頑張ってもらうその陰で、2人の子育てに悪い影響が出ては困るという気持ちを、ひそかに、しかし強く持っている。
その2人が、すくすくと、たくましく、いい子に育っている。
一昨年から昨年にかけて、財団有志が行った山手線一周の辻立ち(早朝1時間山手線各駅で、サラリーマンのボランティア参加を訴えた活動)にも、学校がお休みの日には姉弟そろって参加してくれた。
東日本大震災後、芳子さんは、山元町と南三陸町の復興応援を担当して、それこそ土、日も含め、何日も続けて現地に入り、家を空ける出張が何十回にも及んでいる。
「2人、大丈夫?」と聞くと、
「頑張ってねとサラッと送り出してくれるのでかえって淋しくなるくらいです」という。
芳子さんが、自分のしていることをしっかり説明していること、そして、子どもたちと一緒の時はしっかり愛情を伝えていることが、子どもたちの素直な成長の原動力になっているのだろう。子育ては、子どもと一緒にいればよいというものではないと思う。
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(月刊「潮」2012年4月号掲載)
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