小泉さんは、官から民へという旗印をかかげ、それなりの成果をあげた。改革に挑んだ歴代総理の中では、抜きん出ていたと思う。
しかし、その「民」の中には、公益法人もNPOもボランティア団体も入っていなかった。入っていたのは、営利団体だけである。
もちろん、営利団体は、営利をめざして、自発的、自主的、自律的、積極的に活動する。政府は、社会に害となる場合を除いて、彼ら「民」の活動の自由に委ねておく方が、社会は活発となり、人々の満足感も高まる。社会の状況にもよるが、これが自由主義社会の基本的な考え方であり、それが正しいことは、歴史を通覧すれば、証明されている。営利活動は、自由な社会では、人々の求めるものを提供しなければ成功しないからである。
忘れてもらっては困るのが、非営利団体、特に広い意味で公共(不特定多数の人々の満足)のために活動する団体の存在である。
彼らが、自発的、自主的、自律的、積極的に活動すればするほど、社会は活発となり、人々の満足感は高まる。そのことは日本でもある程度証明されているし、先進諸国では十分に証明されている。彼らの活動は公共の利益の実現を直接の目的とするもので、その実現がなければ、活動者自身の満足感と活動のインセンティブが生み出されず、社会の評価も得られない。だから、そういう活動の意義は、公共の利益の視点からは営利活動以上に大きいのである。
どうして、この当たり前のことが、政策決定者たちの目に映らないのであろうか。政策決定者が、国民、市民を幸せにし、日本社会をいきいきとしたものにしたいという思いを持っていれば、それが見えないはずはない。国民を見ずに国家だけを見ていたり、自分たちの権限を拡大することだけを考えていたのでは、「民」の姿や心意気はわからないであろう。
広く民の姿を見、上手に後押しする施政者を選ぶのは、民の責任である。
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