更新日:2008年7月18日 |
「税の聖域」排除に情熱を燃やした
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私が初めて脱税事件を担当したのは、検事6年目であった。昭和41年、大阪地検特捜部時代である。
「おうへいな医者で、知らぬ存ぜぬですよ。逮捕してガツンとやって下さい」
相談にきた査察官からの頼みである。相手は関西でもナンバーワンと言われた胃腸病院の院長であった。
当時は、医師たちはカルテの守秘義務などを主張して、その脱税調査は結構難しかった。
逮捕されて私の取調室に連行されてきた院長は、椅子に座るなり言った。
「検事さん、顔色が悪いですねぇ。あと1年以内に胃の病気で死にますよ」
彼の方から一発かましてきたのである。
インテリだから簡単に自白し、起訴した。胃の方も、その後40年、お酒を吸収し続けている。
昭和42年には法務省刑事局に転勤になり、5年間、財政経済事件を担当、国税庁査察部とお付き合いした。
「税の聖域をなくそう」というのが、私の思いであった。査察官たちも、情熱を燃やしていた。
衆議院議員の脱税を摘発、政治家の壁を破った。捜査当局が手を入れられないネズミ講を脱税で摘発した。昭和57年には、最強の暴力団の本拠地にガサ(捜索)を入れ、トバク収入を脱税で起訴している。あのころの勢いを、検察も査察も、取り戻してほしい。
まだ大きな壁があった。宗教の壁と、被差別者の壁である。それらも、地方で敢然と挑む査察官によって、突破されつつある。
どんな事情があれ、不公平はよくない。国民の税に対する信頼を壊す。 |
(大蔵財務協会 週刊「税のしるべ」2008年7月7日掲載) |
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