更新日:2012年6月6日
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ソフトのない復興 |
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被災地に住む方々に「地域包括ケアのある町に復興しましょう」と言ってもわからない。「どんな状態になっても、最後まで住みなれた自宅で暮らせる町に復興しましょう」と言うと、「それ、いい。そうしよう」となる。住民の反応は早い。
これが津波にやられた被災地でなければ、あとは事業者が、いわゆる二十四時間巡回サービスを含めて、地域包括ケアのサービスを創り出していけばよい。ところが、津波で流された地域の町づくりは、そうはいかない。零から町をつくるのだから、地域包括ケアが行われるのに適した住まいや町のあり方を具体的につくっていかなければならない。今まで福祉の関係者がやったことのない作業をすることになるのである。
復興の町づくりの第一段階は、ゾーンの決定であった。居住ゾーン、産業ゾーン、緑化ゾーンなどの決定である。この作業は、昨春から今年の初め頃にかけて行われた。地域包括ケアの町の視点から言えば、高齢者がなるべくまとまって住んでいる方がサービスを届けやすい。しかし、そうはならなかった。沿岸部の被災者たちは集落ごとにまとまって住むことを望んだが、元の湾から離れた地域に住むことには強い抵抗感を示した。小さな集落が点在する形になるから、サービス拠点はサテライト方式にせざるを得ない。
この春から、復興は第二段階、居住地などでの住宅等の建設に入る。町づくりの本番である。
ところが、現状はよろしくない。仮設から出たいという要望が、当然のことながら強いため、行政は災害公営住宅の建設を急ぐし、自分で自宅を建てる住民たちも、入手した土地での建設に着手する。このままでは、居住ゾーンの町づくりの展望を欠いたまま、虫喰い状態に無秩序な町が出来上がっていく。復興の担当者はハードの技術者が中心だし、行政の責任者も男性がほとんどで、生活や福祉の実感に欠けるきらいがある。
大切なのは、町づくりに当たって、生活実感のある女性の生活者からも意見をよく聞いてくれることであるが、最小限度、担当者は「高齢者が車なしで日常生活ができる町、そしてケアが自宅に届く町」というソフトのイメージだけは保って町づくりをしてほしいのである。 |
(厚生福祉 2012年6月1日(金))
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