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定期連載 企業福祉情報
更新日:2006年7月29日
新しい働き方 連載―第1回
新しい働き方

30年前、アメリカ
  私は30年間検事として働いたが、そのうち3年半は、家族と共に、アメリカで暮らした。1972年から75年までの間、在米日本国大使館で、法律問題を扱う外交官(リーガル・アタッシェ)として働いたのである。
  アメリカで学んだことは多かったが、その一つにNPOがある。
  当時読んだニュースに、「最近は、ハーバードなどの一流大学を卒業した学生たちが、企業に就職すれば得られるであろうサラリーの半分以下のサラリーで、NPOに就職していきいきと働くようになっている」という趣旨のものがあった。
  私はNPOというのがどんなものなのか知らなかったし、せっかく苦労して一流大学を出たのに、貰える月給を放棄してその半分以下の月給で働くという学生たちの気持ちがまったく理解できなかった。NPOにはとてつもない魅力があるのだろうと調べてみたら、その多くは、何ともパッとしない。大企業と違ってブランド名も安定性もなく、何だかよくわからない社会貢献活動をほそぼそとやっているようなのである。アメリカの学生たちには、よくわからない生き方をする変人が出始めているのだな、と結論づけて、答を棚上げした。
  それからほぼ20年を経て、私は検事の道からボランティアの道へと針路を転換したら、30代そこそこの優秀な女性が、ボランティアを広める事業を手伝うといって、とびこんできてくれた。外資系の金融機関でとびきり高い報酬を取っていたポストを捨てて、その5分の1以下の給料でいいという。私がアメリカで理解できなかった現象が、日本でも起こり始めたのだ、と私は実感した。
  報酬の額より何より、ほしいのは仕事のやりがいなのだという。ボランティア、NPOの世界に入ってから、そういう若者たちに次々と出会った。みんな目を輝かせて仕事に打ち込んでおり、労働の世界では搾取というほかないような安月給で、深夜まで熱中している。もちろん残業手当など出ないし、出るとも思っていない。ともかく、その仕事が好きでしょうがないのである。
  私の若かったころには考えられない価値観を持つ若者たちが、日本にも現れ始めた。1990年代に入ってからの現象である。

  フリーター、ニート、七・五・三
  バブルがはじけると、失業時代が来た。しわよせはまず若者にいき、彼らは非常な就職難に直面した。
  60年代、検事として荒れる学生たちに手こずらされた私は、就職できないことに怒った若者たちが、また荒れ出すのではないかと心配した。しかし、一向にその気配はなく、学園は平穏で、職よこせのデモすら起きない。
  若者たちのエネルギーはどこへ消えたのだろうとその方が心配になり出したら、フリーターが出現し、やがてニートも出現した。ニートというのは尋常なことではない。ニートの少し前から注目されだした七・五・三にも驚かされた。中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が、就職後3年以内に辞めるというのである。「この就職難時代に、そんなのんびりしたことをしていて、君らの人生、どうするつもりなのだ、自分で責任を取る気があるのか」と、心配を通り越してガミガミおやじになりたい気分でいると、「自分らしい生き方をしたいのです」「いきがい、やりがいの感じられる仕事に就きたい。自分に合わない仕事だとわかったから辞めました」と辞めた方は屈託がない。
  「それじゃ、合う仕事を見つけてからやめればいいじゃないか」というと、「合わない仕事をいやいややっていても、意味がありませんから」と、理屈は通っている。
  「今の時代、定職に就かなくても何とか食っていけるようになっているからなぁ」と、私たちの若者時代との差を痛感させられて、納得するというより、諦めるという心境である。

  働く目的の転換
  私たちの時代は、働かないと食っていけなかったし、親の脛はやせ細っていたし、就職口も少なかった。米、衣類、燃料、電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ、車と、なかなか入手できない生活必需品の対象は、少しずつ高度化していったものの、それらがなければ家族は幸せになれなかったから、人々はお金を稼ぐのに必死で、就職先の仕事が自分に合うとか合わないとか、そんな贅沢なことは考えもしなかった。意味のない仕事であろうと嫌な上司であろうと通勤2時間半であろうと、いったん得た就職先にしがみついていたのである。
  しかし、高度成長を遂げ終え、一億総中流が実現したころから、働く目的の重点が変わり始めた。それまでの“生活費獲得”から、“自己実現”へと移り始めたのである。
  自己実現というと、言葉は重いし、この言葉の創始者であるアメリカの心理学者A.H.マズローは、重い意味で使っているのだが、ここでの用法は、そんなに重いものではない。「働いていてもやりがいが感じられないから、辞めるわ」という時の、「やりがい、いきがい、やっていて楽しい、勉強になる、成長している」というような感覚である。
  もちろん、昔も仕事に“自己実現”を求める人は少なくなかったが、それは稼ぐという基本的な目的を追求する枠内での、第二次的なものであった。ところが、今は、自己実現が基本にあって、あわせて生活費を稼げればよいという人たちが、若者の間では多数派になりつつある。

  転換の背景
  働く意味が転換しつつある背景には、日本社会の成熟がある。
  第1に、経済レベルが上がったことによって、定職がなくても何とか生活できるようになった。だから、生活に追われて不本意な仕事をする必要性が減った。
  第2に、物質的な豊かさを体験したことにより、貧しかった時には夢のような幸せをもたらすように思えた物質的な豊かさは、実は外形だけのものに過ぎず、精神的な豊かさ(つまり、人間的な満足感、充足感)をもたらすものではないことを学んだ。金持ちなのに幸せでない人々が、身近に出現したのである。さらに悲惨なのは、物質的な豊かさを求めて苛酷な労働を耐え、ついに魂を会社に吸い取られて、人としての楽しみも魅力も失い、といって大したお金持ちにもなれなかった会社人間の定年後の姿である。これを身近に見た若者に対し、就職して一生懸命働くことの意義を説いても、しらけるばかりである。
  第3に、物質的な豊かさは、人間としての幸せを支えてこそ意味があるということを知覚すれば、労働は、学習や趣味や社会貢献その他の活動と同じく、自分に精神的な豊かさ、いきがい、充実感などをもたらしてこそ価値があるという考え方に行き着く。
  このようにして、労働の基本的な目的は、報酬の獲得から自己実現に転換したのである。

  中途半端な自己実現
  ここで断っておかなければならないが、現段階での日本の若者たちの自己実現の欲求は、かなり中途半端である。
  自己実現は、確立した自我による強い個人主義が前提になるが、日本の個人主義は、まだまだ発展途上だからである。荒っぽく言えば、日本の団塊の世代から上の世代は、集団主義の中で自己形成してきたから、個人主義と利己主義の区別すらついていないくらいである。若者たちは、そういう人々がつくった仕組みで教育を受け、彼らが樹立した社会的ルールに適応させられているから、内なる個人主義の芽は、歪められ、成長を妨げられている。
  そのため、自分が何を求めているかわからないのに、何かを求めて退職したり、集団に適応できず退職して引きこもったりしている。彼らフリーターやニートが、「自己とは、社会の中で自分で作り上げていくものだ」という認識と強い意思を持ち、自己の存在を肯定して職を選択し、自己実現に挑戦するようになるためには、日本の社会は、もっと自由で肯定的評価をするものに変わらなくてはならない。フリーターやニートは、日本が個人主義社会に変換するまでの過渡期の現象なのであろう。彼らが働き方、生き方を主体的に選び、自らの道を希望を持って歩むようになるまでに、10年程度は必要かと思うが、遅々としているし時にジグザグコースをたどるものの、全体として日本がその方向に進んでいることは間違いないといえよう。

  新しい働き方への対応
  これからの働き方が、自己実現を重点的目標とするものとなると、高賃金、好待遇獲得が唯一絶対の目的であるという考え方で組み立てられた労働や雇用、組織運営などの仕組みとの間に、さまざまなギャップが生じる。
  たとえば、従来の考え方では、従業員をどう働かせるかを決めるのは雇う側の専権に属するのであり、だから雇う側は、ピラミッド型の組織をつくって上の指揮監督により従業員の仕事をコントロールする仕組みをつくってきたが、この考え方とやり方は、新しい働き方にはそぐわない面が出てくる。
  そもそもこれまでの終身雇用、年功序列の就業の仕方、処遇の仕方が、新しい働き方に対応できない。
  自己実現を求める人は、労働にとらわれず、コミュニティサービス起業、NPO活動、ボランティア活動など、自由に社会参加するのであって、そこから、スタイペンド(謝礼金)の支払を伴うボランティア活動など、多様な労力提供の仕方が生まれる。従来の労働保護法や、職業規制法は、新しい労働提供の仕方に対応できない。
  それらのギャップをどう埋め、新しい仕組みをどう創り出すかについて、これから5回続く連載の中で、順次提言していくので、忌憚のないご意見をお寄せ頂きたい。

(NISSAY 「企業福祉情報」2005−W掲載)
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 [日付は更新日]
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第1回  新しい働き方
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第2回  組織のあり方と上下関係
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第3回  働き方を選べる社会の重要性
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第4回  働き方を選べる社会の実現策
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第5回  労働とボランティア
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第6回  労働構造の改革
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