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定期連載 企業福祉情報
更新日:2006年7月29日

新しい働き方 連載―第6回
労働構造の改革

  労働構造改革のチャンス
  本稿が「新しい働き方」シリーズの最終稿である。
  ここまで、比較的若い人々の労働のとらえ方を中心にして、働き方の構造を変える必要があることを書いてきた。
  要するに、若い人々は、まだ中途半端ながら、働くことの意義を自己実現に見出そうとしているが、企業や官庁などの組織管理や人事管理は、依然として、労働者を組織の歯車とみなし、ピラミッド型の上命下服制度により、定年までその組織で働かせるのを原則とするという考え方に立っている。働く方と働かせる方の間にはギャップがあり、ニートやフリーターだけでなく、七・五・三といわれる早期退職現象や、労働に対応できない心の病の増加などの構造的原因は、このギャップの拡大にあると考えられる。このギャップを埋め、働く人々が主体性をもっていきいきと働ける労働構造に変えないと、少子化が進む将来、日本に活力は生まれないし、何よりも、働く人々や働きたいと思う人々の多くが希望を持てないであろう。転換すべき社会の姿は、「働くことを選べる社会」である。
  以上のようなことを提案した。
  「働くことを選べる社会」の具体的内容や転換の仕方は、第3回と第4回に書いたので繰り返さないが、最近起きているいろいろな現象を考え合わせると、私は、今がみんなで労働構造改革に取り組むべきチャンスだと考えている。
  第1に、ニート・フリーター現象は、景気や雇用状況が好転しても解消しないし、若者が就職先を早期に辞める傾向も止まらない。
  第2に、正規職員でない派遣職員やパートなどの非正規労働者が、相当数に達している。
  第3に、正規職員を主とする労働組合の組織率は、減少の一途をたどり、2割を切るに至った。
  第4に、己れの能力が社会に生かされず、欲求不満の女性や定年退職者の数は、無視できる状況ではない。特に、団塊の世代退職後は、顕著であろう。
  そういう状況なのだから、この際思い切って、みんなで「働くことを選べる社会」に転換した方がずっとよい。少なくとも、多くの人々が未来に希望を持てるようになる。労働人口がピークから今後は坂を転げ落ちる一方になる未来を明るくするのは、個々の人々がいきいきとして能力を発揮できる労働構造しかないであろう。もちろん、最後まで同じところで働きたいという人には従前のルートを用意するのだから、誰も不安を持つ必要はない。
  某大政党の勉強会で私は労働構造の改革を説いたが、「私も立合演説でそういうことを言った覚えがありますよ」程度の反応だった。しかし、介護保険制度の必要性を説いた時も、保守・革新を問わず男性議員の反応は極めて鈍かったから、やがて時代の流れをわかってくれると思っている。
  労働省系の心ある幹部が、「今の時代、われわれ(旧労働省系部局)にはもう取り組むべきことがないのですよ」と嘆いていたが、やるべきことはある。これまでいろいろな改革に取り組んできたどの政権も、労働構造改革は旗印すら掲げていないのである。
  労働法学者も、現実を直視してほしい。無惨なリストラ、苛酷なサービス残業、正社員の激減などを見れば、従来の法制度の限界がわかるであろう。そして、従来の法制度は、働く人たちの新しい欲求(仕事における自己実現と、自己を生かす生活の確保)にまったく応えることができない。定年廃止だけに止まらず、全体構造の再構築が必要である。それが、現実問題として、働く人々を守ることになる。

  直近の最重要課題
  これは「新しい働き方」以前の問題であるが、労働に関する最重要課題として、サービス残業の根絶を強調したい。
  このような非近代的慣習をはびこらせたまま労働構造を転換することは困難であるし、後出の「ワークシェアリング」が容易に実現しない大きな原因にもなっている。
  何よりも、サービス残業は、労働基準法に反する犯罪行為であり、実質的な横領行為である。
  そして、組織にとっても、サービス残業は、労働の生産性を劣化させ、職員の気力、体力を減少させ、労働時間を長時間にさせる悪循環の原因となることを、自覚しなければならない。
  気力と体力を喪失していく労働者本人とその家族の不幸は、言うまでもない。
  最近CSR、ガバナンスからコンプライアンスまで、外来の組織管理論や社会的責任論が強調され、これに取り組む仕組みが広がってきているが、職務遂行上の基本的ルールである賃金支払義務を全うしないで、社会的責任もへったくれもないだろうと言いたい。
  残業手当を節約したいなら、時間内に仕事を終えられるよう合理化し、指導するか、純然たる実績主義の賃金体系に変えるべきである。
  仕事は、機械による合理化が宿命であり、さらに、低賃金労働の外国へ移行するのも宿命である。その宿命を負いつつ、日本で事業を実施する以上は、日本の法令を遵守することを絶対的前提とした上で、事業の合理化による競争をする以外にない。
  社会に出てはじめて就職した新人がまっさきに驚き、組織への信頼と熱意とを失い始めるのがサービス残業であることを、認識しておく必要がある。

  少子高齢化の視点から
  10年から20年程度の近未来の労働情勢とその問題を、少子高齢化の視点から見ておきたい。
  これまでの少子高齢化の進行をめぐる状況からすれば、その急激な進行には容易に歯止めがかからず、労働人口も減少の一途をたどると予測される。
  この傾向に逆らって労働者を確保したいのであれば、その給源は、女性、高齢者、及び外国人であろう。
  「条件が自分に合えば働くよ」という女性は少なくないから、彼女たちに働いてほしければ、働くことを選べる社会にするのがもっとも有効であろう。
  高齢者も同じである。定年制は、アメリカにならって廃止し、自由な働き方を認めるべきである。
  長時間の継続的労働を望まない人々に対応する働き方の選択肢として、ワークシェアリングがある。
  仕事を分ける単位としては、時間、場所、及び職種が考えられる。
  時間で分ける方法の1つに、曜日で分け、たとえば月、火、水、木は一般の社員で仕事を担当し、金、土、日は、ワークシェアする人たちでチームをつくって担当するというやり方がある。社員が、家庭や地域の活動や学習など、自分のための時間を多く望んでおり、一方、会社側としては、常時開店あるいは24時間常時操業などを望んでいる場合に向いている。
  場所で分ける方法は、たとえば定年退職者だけの工場などの例があるが、経営者にとっては、そこで働く人々に適した特別な仕事のやり方を採用できるメリットがあり、働く人々にとっては、周りで働く人々に和して、無理なく働けるメリットがある。
  職種で分ける方法について言えば、たとえばオンザジョブトレーニングなどの研修指導や苦情処理などの職種は、定年退職者や育児のため十分時間をとりたい人たちが、自分で時間を決めて働けるのに適したものであろう。いずれも、ラインの職員がやると形式的になりがちな仕事である。
  もちろん、一般的な業務を一般社員が8時間プラスα、シェアを希望する人がたとえば3時間行うという方法が、一般的なワークシェアであろう。サービス残業をなくし、いろいろな事情がある人も希望に沿って働けるようにするため、真剣に検討しなければならない。このワークシェアリングは、働き方を選べる社会への重要な一歩となるであろう。
少子化が進むと、外国人労働者の手を借りる必要性が高まってくる。
  ITなど頭脳労働に従事する外国人はともかく、日本人労働者の希望が少ない職種にあえて就いてくれる外国人労働者は、自己実現などより、少しでも多くの賃金を望む人たちなのであろう。
  そういう外国人が進んで来日してくれる以上、彼らの希望に応じた労働のあり方でよいのであるが、大切なことは、入国及び就労を認めた以上は、労働条件等においては日本人と異なる差別をしてはいけないということである。それをすると、脱落して闇社会に入る外国人が出て、治安が乱れる原因となる。また、日本の労働秩序も乱れ、労働の後進性の払拭が遅れたりする。外国人を受け入れた以上は、日本人と同等に対応するというのが、混乱を防止するための鉄則である。

  労働市場転換の予測
  10年から20年程度の近未来における労働市場転換の予測を試みておきたい。
  単純に言えば、個々の人を対象とする職業が増えなければいけないし、また、増えるであろうということである。
  産業のグローバル化が進み、世界規模で競争が激化すると、企業はコスト削減のため機械化を極限まで進めるであろうから、雇用のニーズで期待できるのは、人手をより必要とするサービス業が中心になるであろう。そして、そのサービスは、商品の提供については大規模化、規格化によってコスト削減が図られるが、一方で、生活レベルの向上に伴い、個性的な商品を望む層が増えるであろう。それに止まらず、商品を伴わないサービス業が増えていくことは確実であろう。たとえば医師、弁護士を含む個別対応を必要とする事業をみると、アメリカなどでは、多様なコンサルタント業が生まれ、豊富な分野で個別対応がなされているし、理容・美容・ネイルサロンなど、身体の外見に関する事業は、文化の度の進展に伴い数を増やしている。そういった従来あった職業に加え、たとえば学校教育がそのニーズを満たせなかった児童、生徒らに対する個別教育、成人の学習欲求への個別対応、高齢者などに対する個別ケアなどのニーズに対応する職業は、社会の発展につれ、増大する。個人の欲求がモノからココロへと移り、高度になり複雑になり多様になるのであるから、当然の現象である。
  これらのニーズに対しては、代金を払える層については、職業としてしかるべき代金を得て対応することが可能であるが、それができない層であってそのニーズが教育やケアなど基本的な生存権にかかわるものについては、行政または篤志家がその代金を負担しない限り、ボランティアとして対応するほかない。
  小泉総理による構造改革は、民営化による経済の活性化が売りになっているが、単なる経済の活性化に止まらず、このような産業の転換、つまり、個人相手の事業ないしはボランティア活動の多様化及び大量化が実現しないと、人間生活の豊かさは高まらない。
  そして、私は、人が向上意欲を持っている以上、このような個人相手の事業やボランティア活動は必ず充実するし、したがってそういう事業などに従事する人の数は確実に増えていくと信じている。
  そういう事業や活動は、特別なグループを除いては、大した利益は得られないが、そのかわり、相手の幸せを自ら実現する点で大きなやりがい、生きがいが得られる。まさに、自己実現を優位におく働き手たちの望む事業や活動といえよう。
  そして、それらの事業などは、まさに自ら働き方を決めることができるものである。現にNPOで活動する人たちはもちろん、従来からある理容師、美容師なども、自分の生活などに合わせてかなり自由に職場を変えている。医師や弁護士も同じである。
  そういう自己の意思による働き方の選択が、個人相手の事業や活動の発展に伴って一般化すると、それは従来の企業などにおいて働く人たちの意識を変えるであろう。
  そのようにして、日本は、働き方を選べる社会に少しずつ、しかし、着実に進展していくと考えている。

(NISSAY 「企業福祉情報」2006−V掲載)
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 [日付は更新日]
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第1回  新しい働き方
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第2回  組織のあり方と上下関係
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第3回  働き方を選べる社会の重要性
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第4回  働き方を選べる社会の実現策
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第5回  労働とボランティア
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第6回  労働構造の改革
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