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定期連載 企業福祉情報
更新日:2006年7月29日
新しい働き方 連載―第3回
働き方を選べる社会の重要性

  働き方の抜本的転換
  働く人々の意識は、報酬を得るための苦役としての働き方から自己実現のための働き方へと向上した(第1回、2005年W号)。
  これに対応して、働かせる側は、上命下服により働かせるピラミッド型組織から、働く人々の創意を生かすプロジェクト型、そして、対等の関係で協働するネットワーク型の組織へと変革していく必要に迫られてくる(第2回、2005年X号)。
  しかし、必要な変革は、それだけではない。
  社会全体で、働かせ方、働き方の仕組みを変えていかなければ、時代のニーズに対応できない。
  それが、働かせる方が働き方を決める社会から、働く方が働き方を選べる社会への転換である。

  働き方を選べない社会の非人間性
   今の日本社会は、働き方が選べるようにはなっていない。そのため、働いている多くの人が、自分を生かせていない。
  まず、就職先。
  いまだに、多くの就職希望者は、「自分がどんな仕事をしたいか」ではなく、「自分を雇ってくれるところはどこか」という視点から、会社まわりをする。
  「あなたはなぜこの会社に勤めたいのですか」と、たいていの人事担当者は、ありふれた問いを発する。
  「この会社は、この業界では○○で、‥‥」と、就職希望者は、会社のパンフレットの宣伝文句を引いて、おうむ返しに応える。
  はじめから、就業者の個性や人間性より雇う側の都合や意向が優先している。
  次に、就職後の転職。
  かなりの会社員は、就職してしばらくすると、その会社が自分に合わないとわかってくる。しかし、転職するのは大変である。
  自分に合う会社があるのだろうか。探しても、そんな情報はなかなか得られない。そこで、転職を諦める。
  自分が今まで働いたことは、今後に生きるのだろうか。そんな会社はなかなか見つからない。そこで、転職を諦める。
  転職して幸せになれるのだろうかとの迷いもある。これは賭けであるが、一般には、転職すればするほど不利になる。社会的評価が落ちる(「あいつは飽きっぽい、長続きしない奴だ」と評価される)。転職してもこれまでのキャリアは評価されず、新入社員と同じ扱いになる。退職金の面でも不利になる。社会の制度自体が、終身雇用を前提にしている。いろいろな社会制度を考えた末、結局、転職は損だと諦めることになる。
  それでも諦めきれずに辞める人ももちろんいるが、思うような就職先を見つける仕組みはできていない。
  フリーターとなり、傷ついてニートとなり、社会のお荷物扱いされる。
  結婚することも、難しい。
  終身雇用、年功序列、大過なく定年に達することを寿(ことほ)ぐ社会の非人間性が、モノの豊かさからココロの豊かさへと価値観が向上するにつれ、あらわになってきている。
  その非人間性の被害者は、第1に、女性である。妊娠、子育ては、キャリア形成上決定的に不利になる。多くの優秀な能力が、社会に生かされない。
  第2に、高齢者である。まだまだ働けるのに、定年がくれば働かせてもらえない。社会は、その能力を生かせないというマイナスと、能力を生かされない人が張りを失い、社会保障の対象者に転じるというマイナス、この二重のマイナスを自ら生み出している。
  第3に、働く若者や中年者である。生産性へのしわ寄せをすべて引き受けることにより、過労死、うつ病、そこまでに至らずとも、家庭団らんによる妻子との人間的つながりの喪失、地域とのつながりや趣味等、自己の人間性の喪失などの決定的被害を蒙る。
  かつて、モノの豊かさを求め、それが生きがいであった発展途上国時代の日本の働き方は、もはや働く人とその家族に害をもたらすものとなりつつあるのである。

 働き方を選べる社会の時代適合性
  働くことを選べる社会、つまり、転職が不利にならない社会になると、自然に、子どものころから、どんな仕事をして生きようかということに関心を持つようになる。学校で学び、人と交わる時も、自分の適性が何か、自分はどんなことをしている時、楽しいと感じるかを、敏感に知ろうとする。幸せになりたいし、自分の選択によって自分の幸せを築けるとなれば、人々がそうなるのは当然であろう。
  働くことを選べる社会で、A君が、小・中・高校と自分の適性をさぐり、自分にフィットする科目を学ぶうち、自分は人々が助け合うことに意義と喜びを感じる人間であり、そういう自分の志向には、生命保険業が向いていると判断したと仮定しよう。
  A君は、生命保険の仕事をするには一般的な教養や経済の仕組みを学ぶより実践で学ぶ方が効率的だと考え、高校を卒業後大学に行かずにB生命保険会社に就職した。
  A君は、やってみて、自分に合うことはわかった。加入者を獲得して、彼らの安心感をつくり出すということは理屈としては分かったが、もうひとつ実感が得られない。保険という制度と、ほかのサービス業や製造業などとの区別もよくわからない。要するに、社会全体の仕組みの中での生命保険の位置付けがどうもよくわからない。
  これではいつまでやっていても気持ちが落ち着かないと判断したA君は、いったん退職し、大学の経済学部に入る。目的意識をもって学ぶから3年で学びたいことを学び終え、退学してB生命保険会社に再就職。視野の広さに由来するリーダーシップと説得力を買われ出世するが、恋人ができて結婚、子育てのため1年間休職する。
  A君夫妻は、子どもの教育の視点からは、せせこましい日本よりアメリカでのびのびと育てた方がよいと考え、退職して夫婦で渡米、子育てをしながらA君の方はアメリカのX生命保険に就職し、そこで意欲を認められて次第に重い責任を負う仕事を任されるようになり、実力をつける。アメリカから日本の生命保険業界や保険行政を見るうち、その長所と短所に気付き、子どもが中学に進んだのを機にA君は日本に帰国、金融庁に就職して幹部となる。妻の方はアメリカで大学に入学。
  これはフィクションだから、そのあとはA君がB社のCEOになろうと東大教授になろうと、私の筆の走るがままなのであるが、要するに、「その時々の能力に応じて好きなところに就職できるから、仕事が面白くて成長する意欲のある人はどんどん成長して存分に能力を発揮できる」ということを言いたいのである。
  その間、子育て、研修・研究、ボランティア、海外体験など、蓄えた資金を活用してさまざまな人生経験を積んでもよいし、資金が尽きて就業したいと思えば、その時点の能力に応じて就業すればよい。
  そういう社会になれば、どんな人でも、その時点における自分の思いを生かせる仕事に就き、持てる能力を存分に発揮しながら人生を送れるではないか。
  日本を、そういう社会に近づけようと人々は望まないのだろうか、特に、若者は。
  そして、日本をそういう社会にするぞと呼びかけないのだろうか、政治家は。

 働くことを選べる社会の幸せ
  そういう社会になれば、子どもたちは幸せである。
  どんな子どもも、それぞれの適性を生かす生き方が保証される安心感は、すべての子どもたちに大いなる活力を与えるであろう。障がいを持つ子であっても同じである。
  画一的基準による評価はなくなるから、無意味な優等感も劣等感もなくなり、ストレスやいじめ、自己否定に由来する引きこもりや非行などはなくなるであろう。
  そういう社会になれば、ニートはいなくなる。フリーターはいなくなるというか、みんなが適材適所に生かされるフリーターになるというか、そういう状態になるであろう。
  そういう社会になれば、特に女性たちは心おきなく好きな人と結婚し、産みたい時に子どもを産めるであろう。少子化問題は解消し、ひいては年金や医療、介護の費用負担をめぐる世代間の対立も解消していくであろう。
  高齢者は、その能力に応じて働くことができ、生活面での自立範囲が格段に広まるであろう。
  そしてもちろん、会社人間としてすべての負担に歯を食いしばって耐えている中年、若年の勤務者たちが非人間的な働き方から解放されるということである。彼らが五時半に会社を出て家庭に戻るということは、夫不在、親不在の家庭が、妻、子どもにとって人間的交流と成長の場に戻るということであり、また、そのゆとりが、温かい地域社会を復活させるということにもなる。

  働き方を選べる社会と会社及び政府
  働く人たちは働き方を選べて幸せになっても、会社や政府は損をするのではないか。
  そうではない。
  会社は、常にその要求する能力にふさわしい人を得て、彼らが意欲的に働くため、生産性は疑いなく向上する。現状のように、要求する能力に達しない人、その会社の仕事に意欲を失った人を抱え込んでいる状態からすれば、同じ人件費で何倍もの成果を得ることができるであろう。
  転職の自由が保証されれば、解職も自由となるから、状況に応じて必要最小限のマンパワーの体制を採ることができ、もっとも効率的な運営を行うことができる。ここでマンパワーというのは、職員数のことではなく、ワークシェアリングなども考慮した「総労働時間」のことである。
  一方、政府から見れば、甲社に不適材な職員が、いつまでも甲社に止まっているのではなく、その職員の能力をフルに生かすことのできる乙社に転職して乙社の生産性をあげることができることになるから、国民すべての能力を最大限に発揮させ、同じ人数の国民で、GDPを拡大させることになる。これは、今後少子化に向かう日本の国力の維持、向上のために、きわめて重要なことである。
  また、国民が生き方を選べることは、有力な少子化対策にもなるし、介護予防効果による高齢者の医療費や介護費などの軽減をもたらすであろう。
  さらに、中年の過労死や失職を原因とする自殺も減少するであろうし、子どもたちの引きこもりや非行を減らす効果も大きいであろう。
  国民が常に自分が生かされる社会にいることに心を安んじ、自分の求める生き方ができるということは、現状では効果的な対応策を採るのが難しい数々の社会的問題を、自然に解消させる力を持っているのである。

  働き方を選べる社会のイメージ
  読者は、荒唐無稽な夢物語と受け取られるかもしれないが、改革への強い意思をもってみんなが取り組めば、本稿で述べたような社会は10年以内に実現可能だと考えている。
  ただ、その実現のための政策は、結構厳しい。
  その内容は次回に述べるとして、本稿では、働き方を選べる社会のイメージを述べておく。
  社会が、一つの大きな篩(ふるい)だと想定しよう。そこには、大きさも形もすべて様々に異なる穴がある。その篩に、大きさも形もすべて異なる石をたくさん放り込む。その篩はいつもガラガラと振られているから、それぞれの石は、いつしか自分に合った穴にはまっていく。
  しかし、石は、自分で成長し、大きくなる。するとその穴から飛び出し、ガラガラゆられるうち、また、新しい自分に合った穴におさまっていく。
  このようにして、篩がたえず流動し、かつすべての石に対して開かれているから、常に穴は、もっとも適した石で埋められることになる。
  そういうオープンな社会にすることが求められているのである。

(NISSAY 「企業福祉情報」2005−Y掲載)
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2006年7月29日 新しい働き方 連載―第1回  新しい働き方
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第2回  組織のあり方と上下関係
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第3回  働き方を選べる社会の重要性
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第4回  働き方を選べる社会の実現策
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第5回  労働とボランティア
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