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定期連載 企業福祉情報
更新日:2006年7月29日

新しい働き方 連載―第4回
働き方を選べる社会の実現策

  働き方を選べる社会の重要性
  活力に満ちた若者ならば、早く社会に出て一人前となり、さらに実力を高めて社会から評価されたいと願うものである。人類は、そういう若者の向上心を推進力として、進歩、発展してきた。
  今の日本が活力を失っている根本原因は、若者が、自分を生かす展望が開けないため、夢を失っていることにあると思われる。たとえばニューヨークでもソウルでも上海でもよい、街行く若者たちは、東京の若者たちに比べて、ずっといきいきしているように見受けられる。その感じは、1950年代、60年代の東京に似ている。
  あの頃日本の若者が、ちょうど今の韓国や中国の若者と同じように追求した物質的豊かさは、これを得てみれば、夢みたほどの幸せをもたらすものではなかった。しかし、そのことがわかったからといって、夢を失ってはいけない。それでは、自分も家族も幸せになれず、国力は衰退する。人間本来の望みである、自分を生かす喜びこそが、先進国の若者の追うべき夢であろう。
  もっと自由に、自分がしたいと思う仕事をすることができれば、若者に限らず、すべての人は何倍も楽しい人生を送ることができ、そして日本の社会は活気に満ちたものになるであろう。
  それが、前号(連載第3回、2005−Y号)で述べた、働き方を選べる社会である。
  今号では、そういう社会を実現するための具体的方策を考えてみよう。

  能力主義による採用その他の人事処遇
  働き方を選べる社会では、人はその時点における自分の能力に最適の職に就けることが保障されなければならない。
  ここでいう能力は、現在日本の労働市場で能力主義という場合の能力のような、きめの粗いものではない。現在の能力主義は、総合的事務能力にせよ専門的技術能力にせよ、それが高ければ高いほどよしとするものであり、したがって、候補者の中でもっとも高い者から順に採用し、昇進させる仕組みを採っている。だから、極端にいえば、偏差値的な評価の高い大学の成績のよい者から、人気の高い官庁や企業に就職が決まるという現象が生じる。採用した人物が、たとえば営業に向いているか経理に向いているか管理職としての適性があるかなどは、採用した後きわめてインフォーマルなプロセスで認定されるのであって、採用の時はまず考慮されない。
  しかしながら、仕事への適性は、能力が高ければよいというものではない。企画力や判断力がいかに優れていても、コミュニケーションの能力が劣っていれば営業には向かないし、営業分野でいかに優秀な成績をあげても、総合的判断力に劣るため管理職に向かず、中間管理職に就けるとうつ病になる人もいる。大企業で優秀だった経理担当者が中小企業では通用しないことも、その逆も、よくあることである。大きな福祉施設で効率よく働き、評価の高かった介護福祉士が、認知症患者のグループホームには全く向かず、元気を失った例も、その逆の例も、これまた日常的に起きる現象である。
  必要とされる能力の種別は、個々の職場の特色に応じて多彩であり、その職場に合う能力の程度も、また多彩である。
  まず採用する側が、そのことを把握し、公表しなければならない。ともかく募集して応募した者の中から学校の成績と面接で選び、あとは雇う側の都合で職場にあてはめ、相手が嫌になって辞めればそれでおしまい、辞めるといわなければとにかく定年まで使っていくというのでは、あまりに無責任である。会社の備品を買う時だって、もっと条件を仔細に検討しているだろう。
  ましてや、年齢、性別、国籍などによる差別をしていたのでは、今後進む労働人口の減少に対応できない。
  その職場への適性をきめ細かく見極め、最適の人物を採用する仕組みを早く採用した組織が勝ち残ることになるであろう。

  転職が不利にならない仕組み
  かりに就職の時点で自分に最適の職に就くことができたとしても、その後の自分の成長や職場環境の変化、あるいは自分の生活環境や意思の変化によって、その職場が自分に合わなくなることは当然生じる。生涯の伴侶を決める結婚ですら、離婚、再婚が珍しくない現代社会であるから、職場との関係で離職、再就職が繰り返されて人生が転がっていくのに何らの不思議もない。
  この転職の自由こそが、働き方を選ぶ社会的基盤としてもっとも重要だといえよう。
  それには、まずもって、現行の終身雇用を前提とした制度は、廃止しなければならない。そして、すべての制度を、個人単位のものとすることが好ましい。
  たとえば、退職金に関する税制のように、長期継続雇用を有利にするものは廃止する。いや、退職金の存在そのものが、長期継続雇用を前提にしているから、これを廃止する必要がある。会社は、年俸制により、実績に応じて支払うべきものはすべて支払い、従業員との間に不明朗な関係を引きずらないようにすべきである。
  昇進、昇給についても、年功序列制はやめて、能力主義によるべきであろう。
  我がさわやか福祉財団で実践している組織管理の経験に基づいていえば、本連載第2回(2005−V号)で述べたように、管理職について、年齢、性別、職場の経験などにかかわりなく、もっぱら組織管理能力に着目してこれを選んで何ら支障はなく、むしろその方が組織運営は適正に行うことができる。
  さらにいえば、各種の社会保険料や所得税等の負担については、子どもの扶養を除いて、世帯単位をやめ、個人単位とすることが望ましい。自立できない間の子どもの扶養を諸制度上考慮するのは当然として、自立できる年齢に達した人々については、自立した個人として扱うことが公正であり、それによって制約なく自由に生きることが保障されることになると考える。

  能力を証明する社会的な仕組み
  きめ細やかな能力主義を基調として働き方を選べる社会をつくるには、きめ細やかに能力を証明する社会的な仕組みが必要になる。
  現存する能力証明の主な仕組みは資格制度であるが、大多数の職種は資格に関係がないし、多くの資格制度はきめが粗すぎる。
  しかし、働くことを含む社会活動をしている人はすべて、その活動を行うについての能力を実際に表現しているのであるから、これをある程度客観的に評価することは可能であろう。たとえば、どの組織でも行っているであろう勤務実績評価を、その職務内容とあわせて考案するだけで、かなりの程度その人物の適性が判明する。もちろん個人情報保護の問題はあるが、学校の内申書や就職希望先への成績通知と同様に扱えば、その問題は解決できる。
  それこそ民間の知恵で社会的仕組みをつくっていけばよい。人物評価を行う民間企業が生まれることも考えられる。

  労働組合の再編成
  働き方を選べる社会にするには、企業別労働組合ではなく、職種別組合が必要である。
  それも、就職後の人たちだけでなく、その職種に就業する意思を持つ人たち(学生や失業中の人、いずれその職種に就く意思を持ちながらNPO活動、ボランティア活動、学習、子育て、介護などを行っている人など)も加入できる労働組合が欲しい。そして、公共職業安定所(ハローワーク)や能力証明会社、企業別労働組合などとも連携して、組合員の能力がより適切に生かされる就業ができるよう、雇用者と折衝する。
  労働組合がそういう機能を発揮すれば、人材の社会的活用にきわめて有益であろう。
  現在の労働組合の課題として、正社員でない被雇用者の組織化の必要性が説かれているが、派遣職員や臨時職員など正規職員以外の労働者が急激に増えていることは、雇用形態が流動的になり、多様になっていることを示している。それは、雇う側の人件費節減が動機となって生じている現象であるが、それが可能となり、かつ、拡大しているのは、雇う側において、従来の終身雇用を前提とする正規職員でなくてもこなせる職種が多くあるということが認識されてきたという事実があり、雇われる側においても、必ずしも正規職員にはこだわらない人が格段に増えたという事実がある。
  それは、働くことを選べる方向が拡大している点ではプラスの現象であるが、労働者としての身分保障が薄いという点では大きなマイナスである。
  先に述べたような幅広い職種別労働組合の結成を進めるべきである。
  ただ、職種別労働組合は、能力にふさわしい就業の実現に努め、また実績主義、能力主義のみに基づく適切な待遇を要求することになるが、能力不適合による解雇については、これを容認することが望まれる。現在は戦後の就職難時代における生存権保障の必要性から、解雇権をかなり制限する方向で判例が固まっているが、法律をもってルールを変更すべき時期にきていると考える。新しいルールとしては、就業時の契約により、解雇は自由であるが待遇は実績主義、能力主義による職員と、解雇は現在のルール程度に制限されるが、待遇はその分下回る職員とを分けるというものが考えられる。
  現在のままでは、解雇の制限を免れるために非正規職員を増やすという邪道がひろがるおそれがある。

  転職の自由を望まない職員の待遇
  これまで、働き方を選べる社会にすることの意義と方策を説いてきたが、世の中には、自分が最初に選んだ会社で、自分が働けなくなるまで働くことを望む人もいる。そういう人の方が、多分、多数派であろう。そのほうが生活が安定するし、将来設計も立てやすいからである。
  一方、会社にとっても、そういう職員を、じっくり時間をかけて、会社の伝統的風土や方針に合うように育てていくことは、中・長期的にはメリットが大きい。製造業などは、特にそうであろう。
  そういう職員には、前項で述べたような解雇権が制限される職員として雇用し、長期的視点に立った待遇をするのがよい。
  このタイプの職員と、働き方を自由に選ぶ職員とをうまく使いこなし、組織に活力を生み出していくのは経営者の腕であろう。

  適性発見のための研修
  特に就業経験がなく、職種について強い就業意思を持たない新規採用の職員に対しては、就職後の三年程度は、会社はオンザジョブトレーニングなどを通じて、本人の適性の発見、確認につとめることが重要である。そして、自社において本人の能力をもっともよく生かし、本人も意欲的にこれをのばそうとする仕事に就かせることが、会社にとっても本人にとっても社会にとっても、有益であろう。
  しかしながら、本人の能力が、その内容あるいは程度において自社の仕事に適合しない場合、あるいは、他社の方がより適切に本人の能力を生かせると判断される場合には、本人の能力の特性や程度と、これを生かせると思われる職種や職場などに関する情報を就職情報市場に提供するなどして、適材適所が社会的規模で実現されるような仕組みをつくる必要がある。
  就業難が続いたにもかかわらず、大卒の3割、高卒の5割が、職場への不適合を理由に3年内に離職し、そのかなりの者がフリーターになっているのは、大きな社会問題であろう。

  自由な働き方の選択
  これまでは主として自分に合う職種の選択について述べてきたが、働き方を選ぶということの中には、働く時間や働く場所の選択も含まれる。これは、子育てや介護と仕事とを両立させたい人や、学習を続けながら働きたい人、仕事のほかにボランティアや趣味の活動にもかなりの重点を置きたいと望む人、障害や高齢などの理由で週40時間労働が無理な人などにとって、切実な問題である。
  社会的にも、それらの人々が、可能な範囲あるいは望む範囲で就業し、税金を使う側から納める側に入る方が、はるかに有益であり、少子高齢化問題への有効な対応方策ともなる。
  厚生労働省は65歳までの定年延長を進めているが、そういう部分的方策では大きな成果は上がらない。
  ワークシェアリングとその前提となるサービス残業(これは労働基準法違反である)の撲滅を含め、大きく広い視点から、働き方の自由の拡大に、官民をあげて取り組むべきである。そうしないと、労働人口の長期的減少など、日本の社会的基盤の劣化がもたらす活力の衰退を阻止することができないであろう。

(NISSAY 「企業福祉情報」2006−I掲載)
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2006年7月29日 新しい働き方 連載―第1回  新しい働き方
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第2回  組織のあり方と上下関係
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第3回  働き方を選べる社会の重要性
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第4回  働き方を選べる社会の実現策
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第5回  労働とボランティア
2006年7月29日 新しい働き方 連載―第6回  労働構造の改革
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