東京地検特捜部が捜査中の政治資金規正法違反容疑について、検察には説明責任があるという主張がある。本件で特に説明責任を問う理由は、「(政権交代が取りざたされる)微妙な時期に」「形式犯で」異例な逮捕をしたからだという(3月12日付「私の視点」、ジェラルド・カーティス教授の論述)。
しかし、以下の理由でこうした主張は成り立たず、検察に説明責任はないと考える。
政治資金規正法は、政治がカネの力でゆがめられることなく国民一般のために行われるようにしたいという、国民の長い間の悲願に応える法律だ。かっては政治浄化のための主たる方策は、特捜部が時おり行う汚職事件の摘発であった。しかし摘発は偶発的にならざるをえず、手段としては不十分である。より適切な手段は、第1に、カネの動きをすべて透明にして、選挙権を持つ国民の監視と判断に委ねることである。そして第2に、特定の利益を追求するための組織である会社等による献金を禁止することである。
しかし、これらの手段の導入には、当然ながら、資金を容易に入手したい政治家たちの抵抗がすさまじい。それを、国民の強い声によって何とか抑制し、政治資金規正法は資金の透明化についてはかなりのところまできた。
この基本的な浄化の手段を、迂回献金やダミー団体によってくぐり抜けたのでは、国民の監視は不可能になる。規制を破る行為は悪質というほかない。
一方、会社等の献金は、個人献金の文化が発展途上であるため、全面禁止までは長い道のりであるが、それでも、99年にやっと政治家個人に対する献金の禁止が実現した。これは大きな意味を持つ規制である。個々の政治家に対する個々の会社等の献金は、政党に対するものと異なり、個別の利益と結びつき、汚れやすいからである。
今回の問題になっているこれらの規制は、このように、国民の望む政治の実現のために重要な役割を担っており、その違反を「形式犯」の一言で軽視するには、その意義はあまりに大きい。したがって、容疑が発生した時は、真実解明のために逮捕が必要とあればためらうことなく万全の捜査を遂げ、法廷の中で容疑の全容を明らかにすることが検察の任務である。
捜査の時期については、選挙期間中などよほど特別な事情がない限り、端緒が得られれば進めるべきだ。時期を失すれば解明できなくなる恐れがある。
この事件に対応してまずなすべきことは、政治家個人に対する献金禁止の抜け道封じだ。政党支部に対する会社等の献金の禁止と迂回献金の明確な禁止である。公共事業請負会社による政治献金の禁止も、国民の立場からすればその意義がよく理解できる措置である。実現すれば、受け継ぐジバンがなく、汗を流して国民に政策を訴える候補も当選しやすくなるだろう。 |